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中村光先生って、意外と有名だったりする

作品に関しての話をして行くとなると、やはりどんな人が書き上げているのかというのも気になるところです。ファンとしてはそんな大好きな人の作品ほど知りたくなるものですが、それはこの荒川アンダーザブリッジにおいても同様と考えて問題ないでしょう。この作品を描いている人は『中村光先生』という人で、現在では荒川ザアンダーザブリッジ以外にも講談社において『聖☆おにいさん』を連載しているため、荒川のことを知らなくても後者のタイトルで知っているという人もいるだろう。

どちらの作品も継続して連載されているため、仕事としては恵まれている方だと言っていいだろう。漫画家として考えるのであれば、その他の大物作家のような困らない生活をしているわけではないのかもしれない。懐事情に関しては憶測になってしまうが、それでも現在の状況を考えればそれなりに生活は安定していると見て良いでしょう。ではそんな中村光先生のことについて話をしていきましょう。まずは簡単に彼女の経歴からだ。

  • 1984年:静岡県の窯元の家に生まれ、幼少期の頃から父親の影響から画を頻繁に描いている子供として成長していた。影響を受けた作品はドラゴンボールとなっており、本格的に漫画家を志すようになったのは中学三年生に決意をする。
  • 2001年:16歳の時、『海里の陶』を月刊ガンガンWINGに掲載され、現役女子高校生漫画家としてデビューを飾ることに成功する。その後初の連載となる『中村工房』を2002年4月から約1年間連載することとなる。この中村工房は後に荒川・アンダーザブリッジの基本設定の形を決定付けることになる。
  • 2004年:この年、ヤングガンガンにて荒川アンダーザブリッジの連載がスタートし、連載から6年後には待望のアニメ化が発表された。その翌年にはテレビドラマに、2012年には実写映画化も決まる作品として、世間に広まる。
  • 2006年:講談社刊から『モーニングツー』にて、『聖☆おにいさん』の連載がスタートし、こちらの作品も2012年にはアニメ映画として発表され、話題を呼ぶことになります。
  • 2009年:手塚治虫文化短編賞を受賞する。
  • 2011年:この年の秋には出産の為に、荒川と聖☆おにいさんの連載を一時的に休業することになる。それから1年後にようやくにてファン待望の連載が再スタートを切ることになる。

先生本人の人物像について

漫画家というのも中々に異色な職業と知られているが、実際に漫画一本だけで生活して行くためにはそれなりに実力とセンスというものを兼ね備えている人間でないと中々ヒット作品というものを生み出すことはできないものだ。この中村先生も荒川などにおけるギャグなどが非常にさえている作品であるが、そのルーツは何処にあるのか時になる人もいるだろう。調べてみると、そんなギャグのルーツとしてあげているのが集英社から発行されている日本を代表するコミック誌である『週刊少年ジャンプ』にて過去に連載していたシュールなギャグ漫画として名を馳せた『うすた京介』氏だという。ギャグのルーツとして考えるとしたら、確かにあの先生ほどバカ正直に笑える、ありえない展開を呼び込む内容を作れる人は中々いないだろう。かくいう筆者もうすた先生の作品は知っているが、内容に関してはそこまで深い意図などを汲み取る事はできなかったものの、取り合えず面白いということだけはしっかりと自覚していた。

また、中村先生には作品のファン以外にも先生自身のファンとなっている人が数多く存在しているとのことで、サイン会などを開くと先生目的で来る人もいるという。確かに中にはそういった人がいてもおかしくないと思うのだが、漫画家である以上作品を評価されてこその創作者として名を馳せることができるというモノではないのだろうか。

漫画家といえば時折作風がガラッと変わってしまう人が大半となっているが、それは中村先生も同様だった。それこそ新人時代、つまりは学生時代の投稿作品においてはシリアス長をメインとした話を繰り広げていたというほどだったにも関わらず、後に荒川や聖☆おにいさんのようなギャグ漫画にシフトしたと考えれば、物凄い方向転換の仕方かもしれない。逆にファンからすれば中村先生のそんな貴重なシリアス調の話というものも見てみたいと考えている人も多いのではないだろうか。作品を知っているという古参のファンならともかく、後から先生の作品を知ったという人からすると今では中々お目にかかる事のできない作品もあるわけで、そうなると実はいまだにその雑誌を持っているという人は中々の稀少品を持っているということになるだろう。